今から千四百年前の昔、聖徳太子が、平野の野中の地に小宇を建立して薬師如来の像を安置されたと、寺伝にあり、これが全興寺の草創です。 その薬師堂からしだいに町が形づくられ「平野」発祥の地とも言われています。 本堂は江戸時代初めの1615年"大阪夏の陣"で一部を焼失。 1661年再建されたもので、大阪府下では古い木造建築の一つです。